阪神淡路大震災当日の朝を思い返す

明日で1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に起きた阪神淡路大震災から22年。

やっぱりねぇー、嫌な事は思い出したくないんですよ。

22年前の1月17日は、仕事で橋梁上部工の仮組みの立ち合いに初めて行く日で凄く楽しみにしていた時でした。

結局、地震で立ち会う事は出来なかったけど無事に仮組みは終わったのだとか。

同じ関西(大阪)でも全く違う状況だと感じた。

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阪神淡路大震災の当日

いつもの様に寝てましたよ。その日起きた事が信じられなくて、目で見えている事は理解出来るけど、なんと言うか、脳が理解出来ていない感じ?

完全に崩れている家や傾いた家、炎に包まれている家、崩れた家に声を掛ける大人たち。

想像を絶するすさまじい地震・火災・避難の実態を記録した知られざる阪神・淡路大震災の写真まとめ「1.17の記録」 – GIGAZINE

阪神・淡路大震災「1.17の記録」

生まれて初めて味わった地震の恐怖。揺れがこんなに恐ろしいものだったなんて思いもしなかった。

この映像はニュースやなんかでよく放送されていましたが、本間にこんな揺れで目が覚めましたよ。

縦揺れで起こされてこの横揺れ、気付いた時にはこの揺れの中でどうしようもない状況。どこに隠れるって?布団の上で踏ん張る事が精一杯で動ける訳がない。

起きてても動けなかったと思う。戦争が始まったのかと思ったぐらいで、未だに体が揺れを覚えている不思議。

地震直後の我が家の様子

当時住んでいたマンションは引っ越し直後で新築だったせいもあってか半壊判定。当然、部屋の中は殆どの物が倒れてぐちゃぐちゃ。

地震発生時の父の様子

父親がいた部屋のタンスは置いている向きのせいか倒れていなかったけど、揺れている間、「あーもう終わりやぁー」と思いながら揺れていただけで無傷。

地震発生時の自分の様子

自分が寝ていた部屋は、タンスも倒れ、高かったコンポが吹っ飛び、可愛いヨコクビガメがいた水槽も吹っ飛び、運よく自分がいた場所だけ何も倒れていなくて怪我をせずに済んだ。

地震発生時の母の様子

いつも一緒に寝ていたポメラニアンと揃ってベッドから投げ出されたけど怪我はなし。

地震発生時の弟の様子

怪我はなかったけど、当日は夜勤でポートアイランドで被災。液状化の影響で数日の間、帰宅出来ず。

有難い事に家族は全員無傷でした。

地震直後に見た修羅場

マンション前に並んで建っていた木造の一軒家は、殆どが全壊、全壊って二階建てが平屋になって二階も崩れてる状態ですよ。壊滅状態。

中の人が無事であるとは思えない。

会社(神戸市中央区)も気になって駐車場へ行ってみると、傷は少しあったけどなんとか無事、近くの駐車場では殆どの車が燃えていたから本当に良かったと思いながら車を走らせた。

ガレキの山に燃えている家や車、ボコボコの道路からは水が噴き出し、走れるとこを探しながら何とか広い道へ出れた。

生き埋めになった若者を病院へ

車で走っていると、中央分離帯にいる2人が指さしながら何かを訴えていたので見てみると、歩道で父親らしき人が若者を抱きかかえながらうずくまっていた。

車を止めて聞いてみると、病院(神戸市長田区)へ連れて行って欲しいと言う。

2ドアの車の助手席にその若者、後部座席で心臓マッサージをする父親らしき人を乗せ病院へ向かった。

病院のそばまで火災が迫って

倒れた電柱や電線、がれきなど病院の近くまではいけないので、車を降りて、その父親らしき人と若者を病院へ運んだ。

(迫っている炎でこの病院も燃えてしまうのではないかと思いながら)

でも病院へ運ぶしかないし、(息をしているのか分からないけど)なんとか助かって欲しいと思いながら病院の入り口を入った時に、もう無理と思った。

病院の廊下は悲惨な状況

やっとの思いで病院に着いたけど、廊下を埋め尽くす横たわる人達。生きているのかどうなのかも分らない。

そこにいる事が耐えれない程に悲惨な状況だったけど、自分の車を放置したままだった事を思い出し車へ戻った。

病院を出て会社へ

神戸旧居留地にある1940年代に建設されたビルは、軽微な被害だったそうですが会社の中は酷いもんでした。

周りには傾いているビルも。

何とか中に入って片付けが出来ましたが、次の日から須磨区から中央区までママチャリで通勤が始まった。お尻が痛かった記憶しかありませんが。

さいごに

この地震で同級生や親戚の方を亡くしましたが、当時は生きているから頑張らないといけないという事まで考えられなかったと思う。

ライフラインが復旧するまでの間、井戸水や道路から噴き出す水を汲みに行ったり、炊き出しや配給をもらったり、自衛隊のテントやお風呂のお世話になったり毎日が大変でしたね。

ろくに風呂にも入れないし、仕事に行く朝にカセットコンロで沸かしたお湯で頭や顔を洗い、体を拭いて自転車で出勤する毎日で余裕も無かったかな?

スマホもTwitterも無い時でしたが、毎日あった当たり前の有難さを感じた時でした。

出来る事なら東海・東南海・南海地震とか来て欲しくないですね。